2021.10.16
「ただの大岩」は、小川山、八幡沢を詰め、堰堤を超えたすぐの場所にある。ヴィクター近くの涸れ沢の上流、と言った方がボルダラーにはわかりやすいか。
見ればわかるのだが、かなり大きい。取り付きから一番高いところまで、多分6m〜8mくらい。
とは言っても、このボルダーにはボルトが打たれていて、通常はリードルートとして登られるようだ。
今回のぼった「ただのハング」にも、デシマルグレードで5.11cというグレードがついている。段級グレードでは1級。
この課題の完登にあたり色々感じたことがあったので記録に残す。
実は「ただのハング」を登ろうとは全く思っていなかった。
昼前にThe Two Monksにきっちり敗退して、福嶋ボルダーってのが近そうだから行ってみよう、と考えて涸れ沢を詰めていたところ、目の前にこの岩が現れた。
自分以外には誰もいなかった。すぐ近くにある左岸スラブでリードクライミングをしている人々の声が霞んで聞こえるだけだ。
周辺には堰堤に堰き止められた礫が堆積し、なんとも居心地のいいフラットな広場になっていた。基本的に岩場では人嫌いなので、このロケーションを気にいった。
トポで岩とラインを同定し、「ただのハング」を登ろうと思った。
「ただのハング」の下にマットを敷き、なんとなくオブザベをし、トライしてみる。情けないが、正直オンサイトする気は全くなかった。
何度か落ちながら少しずつ高度をあげ、落ち方や危険な箇所を考える。冒険性には若干欠けるが、グラウンドアップのハイボルダーでこのグレードでは、自分はまだ初見で突っ込むことはできない。
そんなトライを重ねると、この課題のことが少しづつわかってきた。
下部はポジティブなホールドと形状を、爽快感のある大きい動きで繋いでいく。極端に身長が低くなければ、今時のジムで登っているクライマーにはかなり簡単に感じるだろう。
むしろ核心は上部のスラブであるようだ。
5トライ目か6トライ目。5手目の顕著な左手ガバでレストし、右上のカンテをマッチしたところから核心が始まる。試しに右足をカンテにあげ体を引き上げてみる。
下からはわからなかったが、届きそうなところに水平カチがある。使えそうだ。逆に、使えるホールドなのではないかと思っていた左上にカンテ沿いのダイク(のように見える)は、ただ色が白くチョークがついているように見えるだけで、あまり持てそうには見えなかった。
水平カチに手を伸ばすかどうか少し逡巡したあと、4手目のガバまでクライムダウンし飛び降りる。どうやらここが一線であるようだ。
戻れるところともう戻れないところの一線を越えるときがあるか、ということだよ
倉上慶大さんが「千日の瑠璃」登攀のインタビュー記事(ROCK & SNOW 70掲載)で引用した、とあるアルパインクライマーの方の言葉だ。
日本を代表するハードトラッドと、自分が登れるかどうか程度の課題を並べてしまい大変恐縮なのだが、このときこの言葉を思い出した。
水平カチを取り、体をスラブに引き上げてしまえば、もう戻ることはできないだろう。水平カチ直前のカンテまでクライムダウンなんて考えられないし、マットは形状に隠れてブラインドになる。
あそこから上は落ちてはならない。落ちたらどうする、できなそうだったらどうするとかではなく、落ちてはならない。まあ下地はフラットだし岩盤が露出しているわけでもないので、死ぬことはないだろうが、骨の数本は十分にあり得る。
マットの位置を調節した。下部の5〜6手では100%落ちないので、上のスラブで落ちたときに少しでも軽傷ですむ位置に敷いた。
自分が使っているマットは、BDのMondoというクラッシュパッド界ではかなりの大きさと厚さ(と重さ)を誇るマットなのだが、このマットがこんなに小さく頼りなく見えたのは初めてだ。
少し休憩し、完登する気持ちでトライ。下部は問題ない。ガバでレストし、入念にチョークアップし気持ちを落ち着ける。
カンテをマッチし、右足をあげる。マットの位置を確認し、大きく息を吸って吐く。体を上げ、水平カチを取る。思ったより悪い。
コンディションが悪ければ10回に1回くらいすっぽ抜けてもおかしくないくらいのカチだ。腰を落とせるようなガバカチではない。
左足を上げブラインドで足を変え、右足で悪くないスタンスを踏む。もう戻れない、という考えが頭を支配する。
体が硬直する。細かく息を吐きながら、下で考えたムーブを思い出す。左上のカンテを効かせようとするが、かなり甘い。
動けない。有効そうなスタンスを探すが、正直立ってるだけで精一杯だった。
この上部のスラブだけ地上にあって、3mくらいのボルダーだったら、7級〜10級くらいだろう。しかし、そもそも小川山の7級のスラブというのは普通に難しい。
瞳岩の川側にあるやつとか、スパイヤーの右側のスラブとかを想像して欲しい。あれを「初見で絶対に落ちずに」登るのはかなり難しい。いや、花崗岩のスラブや垂壁に慣れているクライマーならば簡単なんだろう。しかし、自分は普段はジムの強傾斜でドッカンドッカン登っているタイプの普通の現代的クライマーだ。
エイハブ船長は10回やったら9回登れるけど、ライトスパイヤーは毎回10回くらい落ちる。
ああ、もっと小川山のスラブをちゃんと登っておくんだったと反省する。ブラインドで踏みかえた左足が、今にも外れるイメージが頭から離れない。
そんなんことを考えている場合ではない、本気でどうしよう。ホールドを探す。と、さっきは見えていなかった黒く塗装されたケミカルアンカーが視界に入った。
手を伸ばせば確実に届く。上にはなんとも魅力的なチェーンもある。
これを掴めばフリークライミングではない。しかし、有効そうなムーブもホールドも思いつかない。降りることもできない。
ずいぶん長い時間そこにいた記憶があるが、実際はおそらく1分くらいだろう、迷った末にボルトを掴んだ。そのまま体を引き上げ、チェーンを両手でつかみ、トップアウトした。
やってしまった、と思った。最低だ。負けだ。
岩を登っていて、「負け」とか「勝ち」とか感じたこともなかったが、今は明確な敗北を感じている。
もしボルトがなければどうなっていただろう。恐怖心に克ち登れていただろうか?そんなイメージはあまりない。
何より悲しいのは、この課題が「もしダメそうでもボルトを掴めばなんとかなる課題」になってしまったことだ。
もはや「一線」はない。ダメだと思ったのなら潔く落ちて骨でもなんでも折ればよかったものを、自分の体かわいさにこのラインをつまらないものに自ずから貶めてしまった。
この課題を登るべきか悩んだ。というのも、ボルトを掴みながら登ったら、見えていなかったホールドが見えたからだ。水平カチの上にもう一つ、甘そうだが水平ホールドがあった。
おそらくもう一度やったらできるだろう。しかし、それは「ボルダーとして登った」と言えるのだろうか?
定義の話をすれば、それは「言える」。トップロープでリハーサルした後にリードでRPしたら、それはRPだ。WPではない。だがそれは結果の話。
完登という結果が欲しいのであれば、そもそもボルダーでトライしていない。だって本来はリードルートなのだから。いくらこの課題がボルダリングのトポに載っているとはいっても、本来ロープを使ってトライされるルートをわざわざロープなしで登るのだ。完登に至るまでの過程が重要だったのは言うまでもない。
その過程で弱さに負け、ハンガーに指をかけた。この時点で、これからこの課題が登れるかどうかはもはや瑣末なことだと思った。登ろうが登るまいが、試合結果は「敗北」だ。
結果から言えば、登った。次のトライで完登した。
ボルトを掴んで落ち着いてホールドが見渡せたとはいえ、初めて掴むホールドの現場処理には違いなかったし、「一回トップアウトできたから楽勝だった」というようなことは全くない。今まで、沢山では無いにしても、そこそこの数のハイボルダーを登ってきたけれど、上部でここまで繊細な動きを求められたのは初めてだった。
しかし、この完登は言わば「3-0で負けている試合の最後の最後に悪あがきで1点取れた」みたいな完登だ。もちろん、この完登が無価値というのは全くの大嘘だし、岩の上では少なくない充足感を得ることができた。しかし、下降路から取りつきに戻り、「ただの大岩」を見上げて感じるのは、何かを大きなものを失ったような空虚な思いだった。
ボルダーとして登られたルートのボルトをどうすべきかとか、そういうソーシャルな話をここでする気はない。これは僕自身の問題であって、「ただのハング」とそれに打たれたボルトは、僕のクライマーとしての素質?気概?誇り?そういったものを試し、そしてそれらはあっけなく破れ去ったという話だ。
岩登りをしていれば、こういう岩に試されるタイミングはいつでもある。そのときに強く在れるクライマーでありたいものだ。
追記: 帰りにふと倉上慶大さんのInstagramを見たところ、ちょうど雨猿ラジオの告知で、「ただのハング」を登っている写真をアップされていた。もちろんノーマット。黒本に掲載された全ての課題をノーマットで登っているのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、氏の凄まじさ思わぬところで再確認した。